追悼・岡田史子

今日は岡田史子さんの命日です。岡田史子さんは2005年4月3日に心不全の為、55歳の若さで、ご逝去されました。当時、開設していた『岡田史子ファンサイト-硝子玉』の掲示板によせられた岡田史子さんへの追悼文を投稿いたします。ご投稿頂いた皆様有難うございました。

『追悼・岡田史子』を読んでみる ↓

  • 2005/04/08 02:44 神観 諒
    4/3 午後10時頃、岡田史子先生が御逝去なされました。死因は心不全、ほぼ即死に近い形だったそうで、ある意味苦しまなくてすんだようです。本葬は4/8 11:30~所沢教会にて執り行なわれます。たぶん本日の朝刊には訃報が出るでしょう。近親者の友人からの書き込みでした。
  • 2005/04/09 03:26
    突然の御逝去、本当に驚いています。純粋にファンでした。岡田先生のような素晴らしい漫画家はもう二度と現れないと思います。ご冥福をお祈りします。
  • 2005/04/09 21:41
    新聞の訃報欄で知りました。いつか、また新作を書いて下さると信じていました。残念でなりません。
  • 2005/04/09 23:39 アヤ
    岡田史子女史の訃報に驚いているひとりです。またあの作品に触れたいと願っていましたのに、とても残念です。ご冥福をお祈りします。
  • 2005/04/09 23:49 Yoshi
    心から冥福をお祈りします。
  • 2005/04/10 09:50 テリー横田
    びっくりして検索で辿り着きました。高校時代に「ガラス玉」「ほんの少しの水」単行本を読んで衝撃を受け以来繰り返しひもといてきました。これからも伝えていきます。
  • 2005/04/10 18:02
    昨日新聞で岡田史子先生のご訃報を聞きました。初めて拝読したのが、『マンガ少年』に掲載されていた、『タンタ・リンドの場所』でした。悲しい作品でしたが、深く心に残っています。「先生の新作はもう、読めないのか」と思うと悲しいです。先生が残してくださった名作を繰り返し読み、その素晴らしさを語り続けて行きたいです。謹んで哀悼の意を表します。
  • 2005/04/10 18:44
    新聞の訃報欄で知り、驚きました。「COM」の「ぐら・こん」で「太陽と骸骨のような少年」の鮮烈なデビューに、強い衝撃を受けた世代です。それから40年近く、心に染み付いて岡田さんの作品があったように思います。悲しく残念です。心よりご冥福をお祈りします。ありがとうございました。
  • 2005/04/10 19:56 tubu
    新聞でお亡くなりになったのを知り、驚いています。高校時代に萩尾望都さんのファンで、萩尾さんが激賞してるのを知り、読んで衝撃を受けました。30年近くたっていますが、いまだ色あせていません。近くの所沢にいらしたんですね。心よりご冥福をお祈りいたします。
  • 2005/04/11 21:47 フーゲツのJUN
    1967年当時、虫プロが刊行していた「COM」の「ぐらこん」にファンとして関わっており、岡田先生の鮮烈なデビュー作品とその後の作品に圧倒されておりました。プロの作家でさえ感嘆し、その才能をうらやましがった岡田史子先生の死去を悼み、深く哀悼いたします。
  • 2005/04/12 00:37 久保AB-ST元宏
    岡田史子さんの死を知ってから、ホコリの匂いのする赤茶けた『COM』1969年1月号のページを何度もめくっています。ここには、「夢の中の宮殿」が掲載されています。ステンドグラスのような見開きの風景画が出てきたり、途中で画面が横になったり、圧巻は最後のコマ。もうこの時点では岡田さんは人気作家の仲間入りをしていて、巻末には近況のコメントも掲載されていましたね。「ブラッド・ベリーの作品は、ファンタジックですばらしい。たいへん気に入りました。」正しい名前の表記は「レイ・ブラッドベリー」なんだけれど、編集者のミスかもしれないけれど、岡田さんのコメントとなれば、なんだか苺がつぶれて中から美しい血が流れてきたようだなぁ、と、私はズッと思っていました。1969年。私は、7歳。ネットで有名なフーゲツのJUNさんが『COM』に関わっていたとゆーのも、今さらながら、納得です。そうか、石森章太郎ですね。和田誠の表紙の『COM』1969年1月号には、石森さんによる「JUN」のカレンダーが付いていました。北海道は、4月だというのに、まだ雪が降っています。映画『北の零年』で静内の風景を久し振りに見ました。ブログ全盛の今、こうして銀河の隅で岡田さんを想える場があって、よかった。
  • 2005/04/12 22:27 bow
    同じように「COM」の「ぐら・こん」で「太陽と骸骨のような少年」の鮮烈なデビューに、強い衝撃を受けた世代です。なんというコトでしょうか。「とてもとても好きだよ。」とお伝えする事も出来ず。ただただご逝去を悼み、深く哀悼の意を捧げさせていただきます。祈りは通じるとおもいつつ。ありがとうございました。
  • 2005/04/23 05:13 nagai@ezo
    おなくなりになったんですか。今日はじめて知りました。ぼくにとってつげ義春氏と岡田さんは全く別格。特別の人でした。
  • 2005/04/28 21:30 ベナレス
    新聞で訃報に接しました。こころに焼きついた台詞が いまでも時々湧き上がってくる漫画でした。とても 哀しいです。
  • 2005/05/17 11:58 くぶ
    COMまだ持ってます、押入れの奥なので直ぐはだせませんが………昨日旦那に亡くなった事を訊き驚きました。北秋津にお住まいだったのですね、心からお悔やみ申しあげます。
  • 2005/06/04 16:07 Katao
    偶然この掲示板に伺って、岡田史子先生の訃報にふれて驚きました。私も『COM』をリアルタイムで購読していた世代だったので、『火の鳥』や『ジュン』などとともに掲載されていた先生の作品に、それまで読んでいた少年漫画とはまるで傾向の違う全く新しい感覚にとまどいながらも、固唾(かたず)をのんで見入っていたことを記憶しています。といっても、内容はほとんど忘れてしまって、覚えているのは、頭から花が生えた少年の話ぐらいです。彼女が自分の漫画を読んだことがもとで自殺してしまった少女のために、しばらく筆を折っていたというエピソードを聞いたこともありましたが、その後どのような創作活動をされていたのでしょうか。もし近々発行されるというアンソロジーを読むことができたら、古くなった記憶を呼び覚まされると同時に、たぶんそのころの自分自身に再会することになるような気がします。心からご冥福をお祈りいたします。
  • 2005/06/17 12:45 黒羽
    こんにちは。読売新聞の記事を読み、岡田史子さんに興味を持って調べるうちこちらにやってきました。こういう絵柄の方なのか……と観ていくうち、管理人さんの作られた<未収録リスト>を見て驚きました。「タンタ・リンドの場所」と「ゾンネン・ぱるたい」に見覚えが……それも強烈な記憶があったからです。<タンタ・リンド>と言う名前は何かの折に今でもふっ……と思い出したりします。オレンジキュラソー(確かぱるたいの内の一人がその名前でした)を使って菓子を作る時、あの不思議な目の絵柄と奇妙な感じのお話、視線で瞬殺されてネコの名前を呼んです~っと倒れる女性……が脳裏に浮かびます。あの、強烈な印象の作品を描かれたのが岡田さんだったのですか……。もう四半世紀も経つのに、お名前はうろ覚えでも、私の記憶には残っているのです。たぶん、これからも何かの折々に思い浮かぶことと思います。今度は岡田さんのお顔やお言葉も伴って。ご冥福をお祈りいたします。


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初めましてwerdna(ワードナ)です。漫画作品や漫画本との出会いや思い出、読んで感じた事など書いております。2000~2009年まで「漫画の館」「丸尾マニア」などのサイトを公開していましたが、2010年に閉鎖しました。以前サイトに掲載していた漫画の感想などもブログに更新しようと思います。作品の紹介や論評になっていないものばかりで、作品を知らない方には意味不明な文章になっていると思いますが読んで頂けたら幸いです。
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